スタッフ紹介

矢野 徹宏先生

  • 矢野 徹宏

    福島県立医科大学
    救急医療学講座
    助手

    矢野 徹宏

    略歴
    東京大学医学部医学科/福島県立医科大学初期研修医/福島県立医科大学地域救急医療支援学講座後期研修医/白河総合診療アカデミー専攻医/福島県立医科大学救急医療学講座助手/現在に至る
    私の診療
    患者さんの内科的併存疾患、社会的背景を意識した救急・集中治療を目指しています。
    私の研究
    救急外来での診断学、特に高齢者での腎盂腎炎の診断研究に取り組んでいます。
    大切にしている言葉
    向こう見ずは天才であり、力であり、魔法です。

2017年4月~2020年3月 白河総合診療アカデミー 専攻医

臨床面では白河厚生総合病院で総合診療科に属し、内科のトレーニングを積みました。コモンディジーズから難病まで幅広い疾患を有した症例を主治医として経験できました。また救急外来などの急性期管理から退院支援・慢性期外来フォローアップに至るまでの経過を途切れなく経験することができました。これまで、急性期という限られた部分でしか実感を伴って理解できてなかった、患者さんが体験する病気の全体像について、理解を深められたと思います。
研究面では、ある疾患の画像診断の診断精度研究を実施しました。アイデアは単純でしたが、それを実施可能な研究計画に落とし込んで、膨大な数のデータを処理していく過程は想像以上に難しくもあり楽しくもありました。スタッフの先生方も皆さん自分の研究を進めていらっしゃるので、具体的なアドバイスや研究に時間を割くことへの理解があり、研究を進めやすい雰囲気でした。現在論文を投稿中ですが投稿作業においてもサポートをいただきながら不安なく進めています。

福島に総合診療の臨床研究のメッカを立ち上げるらしい

白河ではたくさんのことを学ばせていただきました。臨床においては患者さんを人として尊重するということを、きれいごととしてではなく、泥臭い日常臨床の中で実践されていて感銘を受けました。研究では臨床で芽生えた疑問を分解して解答可能な形のリサーチクエスチョンに落とし込みながら研究成果を上げられていて、自分も見習わねばと思っています。
現在は、三次救急に従事しています。オンコロジック・エマージェンシーへの対応や内科疾患の既往歴のある患者さんの対応で白河で学んだ内科的知識が生きています。今後は白河でご指導いただいたことをもとに、現在の職場でも臨床研究を進められればと思っています。

【白河で一番思い出に残った瞬間】~送別会スピーチより~

3年間本当にありがとうございました。
修了式ではご指導いただいた先生方に感謝の思いを述べさせていただいたので、今回は後輩の先生方へ向けてお話しさせていただきます。

‘3年間で自分が一番思い出に残った瞬間’というのがあって、それは今もはっきりおぼえています。

赴任して早々、外来を任せていただいて間もないころに皮膚筋炎の患者さんを担当しました。

皮膚筋炎でしっかり診断も当たったし、ステロイドの治療も始めたし、「これで良くなるな、よしよし」と思っていたのですが、実際はそこから皮膚筋炎に合併する胃がんが見つかりました。その手術もやったのですが、一回良くなった筋肉の症状がまた悪くなったりとか、筋肉の症状は良くなってるけど今度は嚥下が悪くなったりとか、色んなことで考えさせられました。

自分がそれまで持っていたマークシートテスト的な知識だと『D-皮膚筋炎』って選んだらそれで良くなっていくような気がしてたんですけど、現実は全然そうじゃなくて、その患者さんは診断がついて治療が始まってからのほうが辛かったんです。自分としてもできる限りの治療を出し尽くして、「治療が効いた、良かった。でもまた悪くなった」っていう時に、「この人に何ができるんだ」っていうのを本当に考えさせられました。というのも、一回退院にこぎつけたし、手術もできたんですが、残念ながらそのあと、がん性腹膜炎になって帰ってこられたんです。

手術も他の治療法もない状況で、もう治療が難しい―――腫瘍の治療としても今の状態だと抗がん剤もできないし、予後はあまり無いという説明をしなくてはいけませんでした。僕がベッドサイドで患者さんとその息子さんを前にして号泣してしまいました。「再発しました、そして予後はあまり見込まれません」という言葉を言おうとして、患者さんも「キョトン」とするくらい、自分が泣いてしまったんです。

まだ赴任して1年もたたないときでした。その病状説明のときは同じチームだった林先生も、膠原病・がん診療でご指導いただいていた東先生も一緒にいてくださって、すごく心強かったはずなんです。それでも自分でしゃべっているときに、「この人に対してほんとに十分なことができたのか」とか、何もしてあげられていない不甲斐なさとか、そういう感情が心の底からこみあげてきました。最初に「この人をうまく診断できたからこの人はもう大丈夫だ、助かる」と思ってしまった自分の甘さも痛感しました。その時のことが3年間で一番強く記憶に残っています。

腫瘍もある、膠原病もあるっていう状況はなかなか専門的で、初診外来で診たとはいえ、後期研修医の自分が主治医として治療したり病状説明したりするという機会は貴重でした。それから、患者さんの人生について深く考えられるっていう機会もいただきました。もし自分が別の立場でその患者さんを最初に診てたら「診断した。良かった。よし俺やったぞ!」っていうそこだけで終わってたと思うんです。でもそこの先を何か月にも渡って診せていただいて―――その時はけっこう辛かったことも多かったんですが―――医者として人間として成長させてもらったと思いました。自分のこの3年間はそこに集約されるな、と思うような経験でした。

それからも色んな患者さんを担当させていただきましたが、ほんとに一例一例丁寧に指導していただいたと思います。指導の先生は色んなタイプの先生がいらっしゃって、東先生には東先生のやり方が、宮下先生には宮下先生の、高田先生、林先生は今はいらっしゃいませんが、龍児先生には龍児先生のやり方があって、たくさんのことを学ばせていただきました。つい先日もほんとに込み入った症例を龍児先生にも一緒に立ち会っていただきましたし、全ての先生から色んなこと学ばせていただいた3年間だったなあと思います。このような経験ができてすごく嬉しかったです。

自分の心の底から感情を揺り動かして臨床するって望んでもできない経験だと思うんですよね。

初期臨床研修のときはそれは無かったし、3年目以降もそれに相当するほどの衝撃はなかったので、白河の3年間はかけがえのないものになりました。

研究面でも齋藤先生、片山先生と一緒に学習してネットで配信見ながら自分たちであーでもないこーでもないと言いながら課題をやったのも懐かしいです。バーベキューを一緒にやったりとか忘年会のこととか、楽しい思い出もいっぱいあって、ほんとに楽しい3年間でした。

でも、ただ楽しいだけではなく、臨床の厳しさや身につまされる思いを、誰かに言われるのではなく自分の身で体験させていただいたというのは、ほんとに自分にとってかけがえのない経験でした。

人と人との出会いって、水物っていうか、その時しかないものだと思います。ぜひここの総合診療科でたくさんの患者さんに出会いご家族に出会って、自分の思いもしなかった経験していただけたらと思います。是非ぜひおすすめします。

ほんとに3年間ありがとうございました。